自己理解

愛されない不器用を助長する、「自分をよく見せようとしてしまう状態」をどう乗り越えるか?

愛されない不器用を助長する、「自分をよく見せようとする状態」

不器用さと端的にいっても、いくつかの種類があります。

色々な分け方があると思いますが、ざっくり分けてしまうと「愛される不器用」と「愛されない不器用」で分けることができます。

愛される不器用は、その人のパーソナリティがそもそも不器用です。不器用という言葉も多義的ですが、世の中の環境に適用するのが難しく人の助けがどうしても必要な状態といえます。

人の助けをもらうことはネガティブではなく、人を助けることが生きがいとなる人にとっては愛するかけがえのない存在となります。こういう不器用は愛されます。

一方で愛されない不器用は何かというと、エゴが前に出てきて自分をよく魅せようとして生まれる不器用です。本来のパーソナリティではなく、プライドや自意識によって生み出されたものです。これは自己開示していないし人の信頼に沿ったものではないため、人の助けも得られず愛されません。

なんでこんな話をしているかというと、私自身が最近まで「愛されない不器用」だったからです。

この自分をよく魅せようとする状態に悩まされ、仕事上でもプライベートでも空回りをしていらない苦労をしてきました。そこから抜け出せるようになってきて見えてきた知見は、同じ苦しみを持った人に役立つと思いまとめてみました。

自分をよく見せようとする状態は、自分に自信がなく自己重要感が持てていない状態

自分をよく見せようとする状態はどうして生まれてしまうのでしょうか?

原因は、自分に自信がなく自己重要感を持てていないからです。

自信がない状態はどうして生まれるかというと、他人と比較したり自分が他者や社会に何も与えられていないという感覚を持つ事が原因です。

特に広い様々な価値観に触れにくい学校的価値観のみで自分を判断し続けてしまうことが根本原因として悪さをしています。

学校教育だと、自信を持てる要素は「異性にモテるか」「勉強ができるか」「運動が出来るか」「課外活動で成果をだせるか」というような狭いもののみです。これらの要素は全て上位層が必ずいてそこに自分自身が位置づけられていないと自信を持ちにくい。もっと社会だったら多様で色彩豊かな強みの活かし方があったとしても、活かし方を学べず固定された価値観で基本的にはかられてしまうため多くの人は自信を失います。

自分に自信を持って生きている人はシンプルです。他人の価値観に流されず、私はこの道を進むという意思と納得感をもって生きています。

仕事でも失敗したりして凹んだとしても、すぐに立ち直れます。仕事上で人に頼み事をするにしても気にしすぎません。仕事と自分を切り離せているからです。この生き方はとても楽ですし、等身大で進んでいくと楽しんで仕事が出来るため、自然と成果も出やすいです。よく見せようとする必要がないから、無駄にエネルギーを使う必要もありません。

よく見せようとする状態はエネルギーを使います。

自己保身、傷つけないように自分を守ろうとし続けながら生きている状態です。ものすごく疲れるし、大切にしたいことに向き合えないから満足度も上がらずにずっと自己重要感が持てない。

では、どうしたら乗り越えることができるのでしょうか?

自分をよく見せようとする状態を抜け出すには、「他者に価値提供できるコト」で成果を出すしかない。

自分をよく見せようとする状態を抜け出すには、「他者に価値提供できるコト」で成果を出すことです。

コトとは、仕事や学業、運動でもなんでも良いです。他者が喜んでくれるコト、人が喜んでくれる成果を創り出す事です。

他者が喜んでくれることとしてるのは、自己満足ではなく他者や社会に認められる価値を作れるという経験が自分のプライドやエゴを乗り越えるきっかけとなるからです。

プライドやエゴは、守りたい自分がいるときに生まれます。

それを打ち砕くには、守る必要性をなくす必要があるのです。私の経験からそれを抜け出せたのは、自分も他者や社会に貢献出来ると実感できた時からです。

ある種、やっと大人になれた感覚を得たときに自分を守る必要性から少しずつ自由になり、シンプルな判断軸で生きれるようになってきました。

だから私は成果を出すコトは、自己完結するものではなく、他者に価値提供できるもので成果を出す事が重要と考えています。

素直に認められるようになれば、どんな状態であってもシンプルに生きる事ができます。出来ない要因があるとすれば、社会との繋がり感が持てないときです。だからこそ、他者が喜んでくれるところでの貢献感、成果を出せたということが乗り越えるきっかけになります。

対処療法的な人に受け入れてもらうようなヒーリングや自己啓発は課題を先送りにして本質的な解決はしてくれません。残酷かもしれませんが、現実はそうです。

ですが、逆にいえば苦しくても泥臭くコトに向き合って成果を出すことができたら、そういう療法は不要になってよりシンプルで自由に生きることが出来ます。より柔軟で楽しく生きる事ができるのです。

記事書きをテーマとして、成果を出すために考えられる壁を想定してみる。

なってみると楽だなあというこの生き方を創り出す上で、今私が取り組んでいる記事書きで泥臭く、どのようにコトに向き合っていくか?を言語化してみます。

成果を出すためには行動し続けることが必要です。

何をするにしても簡単なコトはなく、真剣に継続しながら1%でも成長を積み重ねていくことが必要です。どんなに自分の強みにあった選択肢を選んだとしても、日々泥臭く努力をし続けることは必要です。努力に向き合いたくない日も出てくるときはあります。

進む中で出てくる壁について紹介します。

先人たちがやっていることが凄く感じて、凹んでしまう。

記事書き初心者は難儀です。とにかく記事を書き続ける中で小さく成長をし続けていくので、苦しい時期が続きます。どんなことだって最初から上手くいかないので、練習期間としてそれは当たり前なのですが、自分をよく見せようとしてしまう状態の人は疲れたら他人と自分を比較することに流されます。

同時期に始めた人で先に成果を出し始めたら最悪です。

その差分に注目して感情的になり、やるべき正常な努力ではなく不安に苛まれて凹みます。

この対処は、他人を見ない。それにつきます。

誰だって初心者からスタートします。GAPに自覚したなら、できることから埋めていくしかないのです。短期的にみたら成果を出す人の差分は才覚が影響します。けれど数年スパンでみて成果を出せるようになったら、その成果量は違えど同じ成功者になれるわけです。

行動の積み重ねの延長戦上に憧れの人たちはいます。行動を積み重ねていったら気づかぬうちに追いつけるんです。前を向いて今できることをやるだけです。

だから、他人をみない行動に全力を注ぐことが重要です。私はツイッターもYouTubeもアプリを消して辞めました。前を走っている人たちがそれっぽくアドバイスをくれたりしているのを目にするとブレるからです。信じる対象は絞った方がよいし、行動に繋がらないなら触れない方が良いです。見えるまでは素振りするしかありません。試合でぼろかすになったとしても出るしかないです。

集中できなくて自己嫌悪してしまう。

成果を出すためにもっとも重要なことは、継続です。

効率的なやり方の追求をしたとしても、継続的にコツコツと行わない限り成果に破繋がりません。継続のエンジンがついていないと、何も結果が出せない。

その継続が大事であるという前提で、集中できなくなると自己嫌悪陥ってしまうことがあります。コレも他人を見ている時に生じます。大事なのは、そうなった事実を受け入れて、今からまた正常な努力を積み重ねていくことだけです。

過去は過去。今から出来ることをやる。引きずらせないことしかできません。

自己嫌悪という感情に支配されたなら、リフレッシュをして負荷を減らしてでも成果に繋がる行動につなげていくことです。大きく物事を考えたり他人を見てしまうと、GAPに打ちのめされてせっかく続けられていた行動全てを捨て去る行為につなげてしまったりします。

3歩進んで2歩下がってしまうことがほとんどです。

集中出来なかったり続けられなかったという過去のコトを悔やんでも仕方ありません。

見えている正常な努力をまた歩み始めるしかないです。

どうしたら出来るか?を考えるだけです。

まねをして行動する中で本質が見えてくるときがきっとあります。諦めずに進み続けましょう。今日だけ頑張るのです。

他人の成功や幸せをみて、自分と比較して萎えてしまう。

これは向き合っているコトだけに関連することではなく、日々のプライベート含めて他人と比較してしまう状態です。

特に20代後半ともなると、人生の意思決定として大きなものを行っていく同世代が増えてきます。結婚や子供、出世といったものですね。それらは表面上凄くキラキラして見えるコトがあるため、自分と比較して萎える気持ちを創りやすいです。

ですが、それらが本当に成功なのかや幸せなのかって分からなくないですか?

ましてや、自分が本当に求めるものではないことを比較しても仕方がなくて、全て他者にとっての幸せをつくるための判断や選択です。うらやむならば自分がその道を選択していけば良いだけの話です。隣の芝が青い状態で、向かう道として選択していないことに対して焦りを感じてもしょうがないのです。

自分の人生は選択したものが最善です。流されているようでちゃんと本心に従って、必要なことを選択しているのです。そこを信じましょう。

表面上良さそうに見えていても、他人の内面としては全く幸せじゃないことだってあります。出された情報だけで判断しない。世の中はもっと多面的で奥深いのです。