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不器用な自分は、自分を他人と比較していらない縛りを自らに課していた
あなたは日々、自分らしく生きれていますか?
自分の価値観に従って、自分らしく生きていますか?
こういった問いに力強く答えられる人は幸せです。そのまま継続して是非、自分らしい人生を継続していってください。けれど、多くの人はそうはなれていません。
他人がどういう「良い」経験をしてきたのか?が伝わりやすくなったこの時代。意識したくなくても勝手に他人の情報が目に入ることで比較したり、されやすくなってしまいました。生物自体、競争の中で生きているものではありますが、現代は不用意で妄想的な競争状態にずっと晒されている状態といえるでしょう。
不器用な私は、自分を他人と比較して「こうあらねばならない」「こうしなければいけない」「こういう行動が必要だ」といったような縛りを自らに課していました。今もまだ残っているモノはありますが、昔はもっときつい状態に自分で自分を追い込んでいました。
あなたはどうでしょうか?
他人と比較して、自分を無意味に苦しめていないでしょうか?苦しみたくなくても勝手に比較の中で自信喪失を引き起こしていることだってあるでしょう。この時代であれば仕方ないことです。その中で脱し方を理解して、乗り越える行動をしなければずっと反応的に苦しめられるだけです。
他人目線の人生は多くのデメリットがあります。その理解と乗り越え方について紹介します。
人を見る人生は、他人の人生を生きることになる
他人を見る人生は、無意識に他人に自分の主導権を取らせることと同じです。
実際、他人が経験した事を受けて自分の生き方が変わることは本来であれば受け入れがたいことです。共感して楽しむ対象として受け入れるのであレバ良いですが、それは親しい仲だけです。
全くの赤の他人の経験情報などがそれっぽい言葉で、かっこ良い格言と共にSNSでは沢山流れてきます。この言葉たちは人の注意を惹く技術を元に書かれている画故に、やっかいなことに結構見てしまう。本来ならば消費したくない情報なのに、時間をとられ、主導権を握られがちです。
これを入り口として、多くの人は他人の人生を見て、自分と比較する経験につなげてしまいます。
それが故に、他人の人生をうらやみ、隣の芝は青い状態で自分を下げてしまうことにも繋がります。これが他人の人生を生きてしまっている状態です。なぜ、知らない他人に支配されなければ鳴らないのでしょうか? ものすごく悲しいことです。
他人を見て行動を決定していると、自分がなりたい姿にはたどり着けない
他人を見ることは、自分の主導権を相手に取らせている状態と書きました。
自分という存在は貴い。なぜなら今意識があるこの人生は一度きりだからです。その人生はそれぞれの人が持っているカードの中で自分らしく生きる道を模索していく必要があります。
自分がなりたい姿を実現するのは、等身大の自分です。
等身大の自分を最大限活かし、自分の心の声に従って生きていけば心地よく生きる道が本来であれば開かれるはずです。ですが、他人をみて行動を決定するような時間が増えてくるとここに悪影響が生まれてきます。しっかり自分と向き合いにくくなるのです。自分が鳴りたい姿を描くことが難しくなってくるのです。
他人の行動は他人が持っているカードの中で生きている姿です。主体的に参考にしようと考えて相談に乗ったり情報を集めるのは良いですが、反応的にキラキラとしているように見える他人情報に触れて主導権を握らせてしまうと、自分にしっかり向き合う事が難しくなります。
他人を見ることは、自分を見失うことに繋がるのです。
嫉妬や憧れなど、他人に抱いている複雑な感情にまず自覚的になる
では、どうしたら他人に主導権を握らせず自分らしく生きる道を実現できるのでしょうか?
対処法は一つで、自分をよく知ることです。
その方法論として、嫉妬や憧れなど、他人に抱いている複雑な感情にまず自覚的になることをおすすめします。やり方は簡単で、自分がもやっとした感情を持った時に徹底的に言葉にすることです。日記を書いたり、ゼロ秒思考を行うことが効果的です。
他人の目線を見ることの一番の悪影響は、不必要な感情の動きに流されてしまうことです。
流されてしまうが故に一番明晰であり続けたい「自分」という像がぼやけてしまい、具体的でない競争感情を生み、自意識が保てずに自己肯定感が低下したり、自己受容感が持ちにくくなる事に繋がります。
感情はきっかけです。必ず何かその感情を生み出すきっかけとなった背景があります。
特に負の感情に対して自覚的になることは他人との比較から離れていくためのきっかけになります。自覚的になる方法はシンプルで、本当に地道に言葉にしていくしかありません。方法論はシンプルでも行動し続けることは意外と骨が折れます。ですが、効果は絶大です。
ゴールは自分と競争する世界。他人は他人の人生でしかない
他人との比較をする世界は、永遠に平穏は訪れません。
本質的には比較と競争は違います。競争は自分の意思を通していく世界を選択した場合、避けて通れないことがあります。具体的な壁として競争相手がいて、そこの中で自分を主体として比較検討をし合う関係であれば、そこまで精神衛生に悪影響を与えることはないでしょう。
比較は違います。比較は終わりがありません。1度比較対象に勝てたとしてももっと同じように強い相手が比較先として出てきます。比較は具体的ではなく観念だからです。永遠に終わりません。大事なのは、具体的な相手を定めること。競争をできるようにすることです。
他者との競争の次のステージは、自分と競争する世界です。
自分と競争する世界とは、昨日の自分よりも1歩でもより良くなったと自信を持って生きていけるように、日々を積み重ねていくことです。他人ではなく自分と比較することで、はっきりとした競争相手に対して適切な努力を積み重ねる事ができるようになります。
他人は他人の人生です。自分の人生考える上で参考にしても良いですが、比較・競争するものではありません。必要になった時に、具体的な相手として現れた時にだけ取り組めば良いのです。
ゴールは自分と競争する世界です。