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恐れから自分に合っていない成長を目指していた。
私は恐怖という感情に支配されて生きてきました。
目を伏せて感じないように生きていたけれど、恐れて自分を守ろうとしてきたが故に自分の本来選択していくべきものではない成長を求めてきました。
「こうしなければならない」「こう生きる必要がある」「このようなスキルがないと大変なことになる」というような情報に触れては感情を刺激され、動物的に反応しては行動してきました。その結果、全く結果が積み上がらず、感情を動かされただけの結果が残りました。
この結果をまとめてしまえば、資本主義の中で広告に踊らされて反応的に生きてきた結果と言えるかもしれません。反応させられ流されてきた人生でした。
コーチングに50万かけたり、つないでもらった情報販売の人の教えにしたがって積み重ねの先にあまり意味のないことをやってみたりもしました。今でも学びになっていることはありますが、身の丈にあっていない行為は自分のコンプレックスを大きくもしました。
このコンプレックスはやっかいで自分の人生の意思決定に不要な色眼鏡をもたらしてきて、仕事上で悪影響をもたらしてきました。乗り越えるのには数年かかりました。
こんな反応的な人生では、永遠に自分らしい人生は送れない。
この事実を受け止めてから、「力強い自己啓発」ではない道を模索しました。正しい努力を積み重ねて、等身大の自分で生きていく道があるのではないかと。そのために努力して過去の苦い経験を乗り越えたいと。
発信力の強い個人からの「力強い自己啓発」にはつかれてしまった。人に反応させられて考える成長志向はどこかで無理がくる。
他人が反応させてくる情報では、自分の本心からの行動や決断は生まれません。
それらをきっかけにして自分ごとに上手く取り入れられる人はいますが、少数です。成功している人よりも失敗している人の方が多いこの世の中で、発信力の強い声が大きい個人からの情報だけ受け取ってしまうと偏りがあり無理がある状態になりかねません。
他人の言葉はきっかけにすらならない。結局は自分がどうしたいか?というのを丹念に日々の経験の中から紡ぎ出して、地道な言語化と計画で叶えていくしかないです。
他人は自分の人生に責任を持ってくれません。責任を持てるのは自分だけです。
価値交換の中で相互に関わる事でメリットがある時だけ、人は干渉してきます。与えることが好きな人もいますが、基本は相手にとってメリットがあるからです。反応させられることは、自分の人生の主導権を他人に委ねることと同義です。受け取っている情報への意味をしっかり自覚しないと簡単に流されてしまいます。
成長とか壁を突破するエネルギーは、自己との対話の中で納得したものからしか生まれません。
成功してきた人たちがどう語ろうと、それがたまたまがしっとはまり、運も合わさって実現できたことに過ぎないのです。正しい努力はあります。それを継続してやりきっていくことで成功する方法はあります。だけど、他人が言うような道すじが正解であることはほとんどない。他人の結果を信じ切って自分に当てはめられるんだ!というような甘えた考えでは、簡単に他人に支配されます。
成功者は自分の成功を語るだけです。
結果を出した人間の声はとても強く感じます。本当なんだろうなと思わせられる魅力を持っているが、受け手に回るこれから変わりたいと思う人たちは冷静に受け止める必要があります。自分もそうなれる!という考えは甘いです。何が成功要因なのか?それを実現した行動と継続している努力。運の要素も考えて、自分がそうなりたいと考えた時にやる決断が出来るか?継続的に行動できるものなのか?ということを「自分の頭で」考え、決断し、行動する必要があります。人生の決断や判断を他人に委ねてはなりません。人きっかけのものは何も生み出しません。自分が主語になって決断をしていかないといけないのです。
なぜこの話を書いているかというと、少しずつ自分は変わるきっかけをつかめた気がしたから。
この話をしたかったのは、このブログを立ち上げたきっかけに繋がります。
私は不器用です。不器用なりに一生懸命働いてきました。働いた中でいろんな壁にぶつかる中で自分の意思決定を小さくても積み上げてきたことで、なんとか心が安定しながら社会に価値貢献して肯定感を持って生きる道が見えてきました。
ここに至るまでにやったことはシンプルで、「等身大に生きる」道を勇気を持って歩むことです。自分を受け入れて、やれることで誰かの為に貢献しようと決めて、目の前の事に着実に取り組んでいく。そういう地味でシンプルなことをやるんだ、それが自分なんだと決断できてから仕事の成果が出るようになり、現実世界で気持ちよく生きる道が見えてきました。
今の世の中は不要な情報が見えすぎてしまいます。見える事によってチャンスをつかめる人もいるし、豊かさも得やすくなっているいい時代ではありますが、それを求めていない人にとっては不用意に感情を揺り動かされ、反応的な人生を送らされる酷な世界といえます。
あなたはどうでしょうか?私と同じように反応的で感情を揺り動かされて、自分らしく生きるというよりは他人の人生をいきていないでしょうか?
他人の人生を生きることが悪いというわけではないです。
ですが、変わるきっかけはあるし、それは他人が引き出してくれるモノではなく自分自身との対話の中で導かないといけない。けれど、変わるきっかけは凄くシンプルで、現実を見て、自分自身が出来ることに向き合うことで成し遂げられます。ストレスに対しても自覚的になり、私らしく等身大で生きる事が自己肯定感にも繋がる。私はそういう人生の方が幸せだと考えています。
このブログがきっかけとなり、同じように等身大で不器用さも受け入れて楽しく生きるきっかけになったら嬉しいです。